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解剖学の復興 

人体解剖の再開

図1.モンディーノ・ルッツィによる人体解剖.解剖学者は段上で書物を読み上げ,実際の解剖は職人が行なっている. [PD]

前述の通り,紀元前4~3世紀のアレクサンドリアで,ヘロフィロス,エラシストラトスらが人体解剖を行なった後,ローマでは解剖が禁じられた.ガレノスは詳細な解剖学を記述しているが,それは動物,特にサルの解剖に基づくものであった.その後,サレルノの医学校でも解剖が行われたが,やはり動物であった.

1315年,数百年ぶりの人体解剖を行なったのは,ボローニャ大学のモンディーノ・デ・ルッツィ(Mondino de Luzzi, 1270?-1326)で,解剖学書「アナトミア・ムンディニ(Anatomia Mundini)」を著した(図1).しかし,その内容はガレノスの解剖学をほとんどそのまま踏襲したものであった.その後大学での解剖が許可されるようになり,パドヴァ大学,モンペリエ大学など,ヨーロッパ各地の医学部で,しばしば人体解剖が供覧されるようになった.しかし当時の解剖学の講義では,高い椅子に座る解剖学者は解剖学書を読みあげるだけで,実際に解剖する執刀者は身分の低い理髪外科医であったり,単なる職人であった(図1).講義は,教科書の記載を実際の屍体で確認することに終始し,もし教科書と実際の解剖所見が食い違えば,それはその固体の異常あるいは職人の手技の不備であり,教科書が正しいとされた.このため,新たな解剖学書も出版されたが,いずれもガレノスの解剖学を超えるものではなかった.しかし,ガレノスの著書には図版が全くないが,これらの新しい教科書にはそれぞれ工夫をこらした解剖図が豊富に収められている点は大きな進歩であった.

また15世紀末になると,医学者ではない芸術家による解剖が行なわれるようになった.たとえばミケランジェロ,レオナルド・ダ・ビンチはいずれも自らの手で解剖を行ない,これを手稿に残している.これらの知識は,絵画や彫刻の人体表現には大いに役立ったものの,新たな医学的知識を加えるようなものではなかった.

ヴェサリウスの登場

図2.近代解剖学の父 ヴェサリウス(Andreas Vesalius 1514-64)

このような解剖学の暗闇に光を投じたのは,近代解剖学の父,ブリュッセル(現ベルギー) のヴェサリウス(Andreas Vesalius 1514-64)である(図2).ヴェサリウスは,祖父が神聖ローマ帝国皇帝の侍医,父はその薬剤師という家に生まれ,フランスのパリ大学で学び,当時の解剖学の権威シルヴィウス(Franciscus Sylvius, 1614-1672)に師事していた.その後イタリアのパドヴァ大学で学位を取得したが,解剖学の見識と技量を認められて解剖学,外科学教授となった.

ヴェサリウスが学んだ医学はもちろんガレノス医学であったが,ヴェサリウスはそれに飽き足らず,自ら屍体を解剖した.これは,解剖手技は職人任せであった当時の解剖学者としては異例のことであった.ヴェサリウスは,時には埋葬されたばかりの遺体を深夜に墓地から掘り出したり,処刑場の役人と結託して罪人の死骸を盗み出すなど,あらゆる手段を駆使して屍体を入手し,これを自宅の書斎で解剖した.当時の死因は感染症が多く,ヴェサリウスは何度も伝染病にかかっている.

図3.ヴェサリウスの歴史的大著「ファブリカ」.(左)全身骨の図,(右)全身の動脈の図. [PD]

1538年,最初の著作「解剖図譜」(Tabulae anatomicae)を出版し,これは広く読まれたが,まだガレノス以来の誤った解剖が多く描かれている.そして1543年*,ヴェサリウスの努力は歴史的大著「人体の構造に関する七章」 (De Humani Corporis Fabrica Libri Septem) に結実した.これはそのラテン語の書名の一部をとって「ファブリカ」と通称されるが,出版にあたってのヴェサリウスの力の入れようは大変なもので,当時最高の印刷,装丁技術を持つ業者を求めて,木版をロバの背中にくくりつけてアルプス山脈を越え,スイスはバーゼルの業者のもとに運び,完成に至るまで滞在してこと細かに指示を出したという.「ファブリカ」は,全7巻,縦40cm,横30cm,荘重な紫のビロードの表紙に飾られた大変な豪華本で,計700頁以上,200葉以上の挿図が収められていた(図3).さらにその翌年には,「ファブリカ」のダイジェスト版「エピトメ」(Epitome) を出版した.これは医学生が解剖実習に携帯できるポケット版,いわば「アンチョコ」で,大いに人気を博して普及した.ファブリカ,エピトメは発売直後から好評を博し,品切れになり,多くの海賊判が登場した.

ヴェサリウスの記述は,現代の水準から見ても詳細,正確な箇所が多い.例えば直腸のところにはこう書かれている.「一つの筋が直腸末端を取り巻き,排泄を抑制している.さらに別の二つの筋が排泄後に直腸を速やかに挙上する」.これは,現在の解剖学でいう肛門括約筋,肛門挙上筋,恥骨直腸筋について記述したもので,その形態と機能を驚くほど正確に記述している.

* 1543年.ヴェサリウスが「ファブリカ」を 出版したこの年,奇しくもポーランドのコペルニクス( 1473-1543)が「天球の回転について」 を出版して地動説を発表した.その意味で1543年という年は,科学がキリスト教の色濃い中世の軛から解放された記念すべき年といえる.コペルニクスはその出版を待たずして没したが,これは世間の不興を買うことを恐れ,死の直前まであえて地動説を発表しなかったためである.ちなみに日本では戦国時代の最中で,種子島に鉄砲が伝来した年であり,半世紀後に天下を取る徳川家康(1543-1616)が生まれたのもこの年である.

関連事項

ヴェサリウスが指摘したガレノスの誤り

ヴェサリウスは,その著書「ファブリカ」の中で従来のガレノスの解剖学の誤りを数多く指摘している[1,2].その大部分は,ガレノスの解剖学がヒトではなく動物の解剖に基づくことによるものである*

* 「ファブリカ」 の5年前に書かれた「解剖学図譜」には,まだガレノス以来の解剖学の誤りが多く残っており,その多くは「ファブリカ」で訂正されているが,それでもなおその挿図には本文と矛盾して明らかに動物の解剖に基づくものであるものがある [3].

《脳底部の奇網》

図4. (左)「解剖学図譜」では奇網が描かれている(ドーナツ状の部分.左右の血管は内頸動脈,上部の2つの突出は側脳室).(右)「ファブリカ」では,奇網は否定されている.中央の構造は下垂体.

ガレノスは脳底部に奇網(rete mirabile)という血管網があり,これが 精神のプネウマ の生成部位として重要であるとしていた.奇網はブタ,ヒツジなどある種の動物では,正常構造として内/外頸動脈間に認められる網状吻合であるが,ヒトには存在しない.ヴェサリウスも最初に出版した「解剖学図譜」にはこれを記載しているが,「ファブリカ」ではこれを訂正し,その存在を否定している(図4).

《心臓中隔の小孔》

ガレノスは,心臓の中隔*には多数の小孔があり,右心室の血液が左心室にしみ出すとしており,これがその循環生理学の重要なポイントとなっていたが,ガレノスはそのような構造は観察できないとしている.ただし,ヴェサリウスも,中隔の小孔の存在を完全に否定するには至っていない.正確な血液循環経路が不明であった当時は,まだその存在を仮定しないと左右の心室の交通を説明できなかったためである.

* ヴェサリウスは心臓は二腔としている.左心房は肺静脈,右心房は大静脈の一部とされている.

《肝の分葉》

図5.(左)「解剖学図譜」では肝臓が5葉に描かれている.(右)「ファブリカ」では,一塊に訂正されている.

ガレノスは,肝が5葉に分葉しているとしている.動物は分葉しているものが多い(ヤギ 4葉,ウマ5葉,イヌ6葉).ヴェサリウスは,ヒトでは1個の塊であるとしている(実際には2葉であるが,動物ほど明確に分れていない)(図5).

《骨の解剖》

骨についてはとくに多くの指摘がある.ガレノスは,胸骨が7個の骨からなるとしている.これはサルの観察によるものと思われ,ヒトでは3個である(柄部,体部,剣状突起).また仙骨についてはガレノスは3個,ヴェサリウス6個としている(実際は5個).ガレノスは,上腕骨が大腿骨についで2番目に長い骨としているが,これもサルにおける観察の結果で,ヒトでは脛骨,腓骨の方が長いことをヴェサリウスは指摘した.ガレノスは,頸部の回旋,傾斜に際して環軸関節が離開するとしているが,ヴェサリウスはこれが環軸関節面の運動のみで可能となっていることを示した.男性の肋骨は女性よりも1本少ないとされていたが(イブがアダムの肋骨から生まれたという聖書の記述による),ヴェサリウスは男女差がないことを示した.ガレノスは,男性の方が歯牙の数が多いとしていたが,ガレノスは同じであることを示したあ.

《心臓骨》

ガレノスは,心臓の表面に小さな心臓骨(os cordis)を記載しているが,ヴェサリウスはその存在を否定している.これはウシなど多くの動物に認められる軟骨構造で,加齢とともに石灰化して骨様になるが,ヒトには存在しない.

《神経》

ガレノス以来,神経は中空で内部にはプネウマが存在すると考えられてきたが,ヴェサリウスは神経内に空間はなく,充実性であることを示した.

  • 1. Lanska D. The evolution of Vesalius's perspective on Galen's anatomy. Hist Med. 2015. DOI: 10.17720/2409-5834.v2.1.2015.02l
  • 2. O'Malley CD. Andreas Vesalius. Complete Dictionary of Scientific Biography. 2008. https://www.encyclopedia.com/
  • 3. Singer C. Some Galenic and animal sources of Vesalius. J Hist Med Allied Sci. 1:6-24,1946


シルヴィウスのヴェサリウス批判

図6.解剖学者シルヴィウス (Jaques Dubois Sylvius, 1478-1555).ガレノスを強く批判した. [PD]

当時パリ大学の高名な解剖学者であったシルヴィウス (Jaques Dubois Sylvius, 1478-1555)*1(図6)は,古典的なガレノス医学の唱道者であったが,当時としては先進的な一面もあり,それまでのガレノス解剖学では番号しかついていなかった血管や筋肉に固有の名称を与えている.名教師としても名声を博し,その講義には多くの医学生が集まった.ヴェサリウスもその指導を受けたひとりであった.しかしヴェサリウスのファブリカ発表後はその内容を徹底的に批判し,特に「ヒポクラテスとガレノス解剖学を誹謗する狂気への反論」 (Vesani cuiusdam calumniarum in Hippocratis Galenique rem anatomicam depulsio) と題するその著書では,具体的な名前こそ出さないもののヴェサリウスを暗に名指して*2糾弾している.シルヴィウスはヴェサリウスを「無知,恩知らず,不敬の輩」と罵り,ファブリカの指摘にひとつひとつ反論してガレノスの擁護にまわり,時にはガレノスの時代と現在ではヒトの構造が変化したためであるという曲論を展開している.

しかし,その後ヴェサリウスの新しい解剖学が広く受入れられるようになり,旧態依然としてガレノス医学に固執するシルヴィウスの評価は失墜した.これに加えて貧しい育ちのシルヴィウスは吝嗇かつ性格狷介であったことも災いしたようである.晩年は名声を失い,粗末な墓に葬られたが,その教会の壁には「決してタダでは物をよこさなかったシルヴィウス,ここに眠る.この碑文をタダで読んだら不平を言うだろう」と学生がいたずら書きをしたという[1,2].

*1 シルヴィウス裂(Sylvian fissure),中脳水道(Sylvian aqueduct)に名前が残るFranciscus Sylvius (1614-72)とは別人.中脳水道は1521年にイタリアのBeregarius Carpesisが発見し,Jaques Sylviusも記載しているが,その後Franciscus Sylviusが詳述している.
*2 著書の題名にある Vaesani (狂気)がVesaliusを連想させる.

  • 1. Baker F. The two Sylviuses. An historical study. Bull Johns Hopkins Hosp. 20:329-39,1909
  • 2. Tubbs RS, Lingnna S, Loukas M. Jacobus Sylvius (1478-1555). Physician, teacher, and anatomist. Clin Anat 20:868-70,2007


ヴェサリウス孔,ヴェサリウス骨

図7.ヴェサリウス孔(→).卵円孔(▲)の内腹側にある.この例では左側のみ認められる(頭蓋底軸位断CT)

図8. ヴェサリウス骨.第5中足骨基部の種子骨 [2].

ヴェサリウスは,近代解剖学の父として解剖学に大きな変革をもたらした大解剖学者であるが,その名前を冠した解剖学名は意外にも2つしかない.すなわちヴェサリウス孔とヴェサリウス骨であるが,いずれも常在しないささやかな構造である.

ヴェサリウス孔 (Foramen vesalii)は, 頭蓋底の卵円孔の腹内側に位置し,頭蓋内の海綿静脈洞と頭蓋外の翼口蓋窩静脈叢を連絡する導出静脈 (ヴェサリウス静脈)を通す小孔(図7).ヴェサリウス自身の記述では,稀に片側性に認められ両側性はさらに稀とされるが,現代のCTによる研究では約30%に存在し,半数は両側性である.臨床的意義には乏しいが,三叉神経節ラジオ波焼灼術の合併症としてヴェサリウス静脈損傷の報告がある[1].

ヴェサリウス骨 (Os vesalianum pedis)は, 第5中足骨近位端の中足骨粗面が種子骨として分離する稀な状態(図8).Jones骨折 との鑑別が必要である.通常は無症状であるが,疼痛の原因になり切除術の適応となる場合がある.第5中手骨の同じ位置に認められる種子骨も(手の)ヴェサリウス骨(Os vesalianum manus)と呼ぶことがある[2].

  • 1. Shinohara AL, Melo S, Guimarães C, et al. Incidence, morphology and morphometry of the foramen of Vesalius: complementary study for a safer planning and execution of the trigeminal rhizotomy technique. Surg Radiol Anat. Vols.32159-164,2010
  • 2. Kose O. Os vesalianum pedis misdiagnosed as fifth metatarsal avulsion fracture. Emerg Med Austral. 21:426,2009