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ロング  Crawford Long 

経歴と業績

ロング (Crawford Long,1815-1878) 

1815年,アメリカのジョージア州に生まれた.父は上院議員で名士であった.フランクリン大学(現ジョージア大学)を卒業後,ペンシルバニア大学に学び,1839年に学位を得た.ジョージアに戻ったロングは,人口500人の小さな町ジェファーソンの開業医となり,患者想いの名医として高い評判を得た.1942年に妻のメアリーと結婚したが,患者の診療のため結婚式に遅刻し,招待客が帰り始めた頃にようやく到着し,式が終わるとまた患家に戻ったというエピソードがある[1,2].

当時のアメリカでは,笑気を吸ってはしゃぎ回る「笑気パーティ」が流行していた.ロングは,友人に笑気の提供を依頼されたが設備がないため,かわりにエーテルを奨めた.この結果,「エーテルパーティ」が好評を博したが,エーテルを吸った友人たちが怪我をしても痛がらないことを知り,これを手術に利用することを思い立った.1842年3月30日,エーテル麻酔下に頸部嚢胞摘出を行なったが,患者は全く痛みを訴えなかった.世界初の全身麻酔手術である.その後ロングは計8人に手術を行なったが,その成果を論文に著わしたのは1849年のことであった.1843年,モートンが笑気による全身麻酔の公開実験に成功し,麻酔発明の優先権を主張する4人の争いは米国議会にまで持ち込まれたが結局結論は出なかった.

ロングはその後も篤実な開業医として患者の診療にあたり,南北戦争では負傷者の治療にもあたった.1878年6月16日の夜,分娩に呼ばれ妊婦にエーテル麻酔を行なっていた時に突然倒れ,駆け寄った周囲の人々に「母親と赤ん坊を先に」と指示してまもなく息絶えた[1].その1年後,米国電気医学会(National Electric Medical Association)は,ロングをエーテル麻酔の発明者と認定した.現在多くの国々で,医師の貢献に感謝するNational Doctor's Day (国民医師の日)が設けられているが,この先駆けとなった米国では1933年以来,ロングが初めて全身麻酔手術に成功した3月30日をこれに定めている.

出典