パラケルスス Paracelsus
経歴と業績

パラケルスス (Paracersus, 1493-1541)
1493年,スイスの村アインジーデルンに生まれた.医師で鉱山学校の講師でもあった父から,医学,化学,鉱物学などの教育を受けたが,フッガー財閥の鉱山学校にも学んだ.1509年にウィーン大学に学び,1516年にはフェラーラ大学医学部を卒業したが,大学の医学よりも各地の伝承医学を学ぶことが有用と考え,10年にわたってヨーロッパ,スカンジナビア,トルコ,エジプト各地を遍歴した.この間の詳細については不詳だが,スウェーデンとオランダでは軍医として活躍し,平時には各地で患者を治療したとされる.パラケルススという名前はこの時期に自称した通称で*,その由来については諸説あるが,古代ローマの医師ケルスス (Aulus Cornelius Celsus)を凌ぐという意味であったとも言われる[1-2].
* 本名は Theophrastus von Hohenheim Philippus Aureolus Theophrastus Bombastus von Hohenheim.
1524年にスイスに戻ってザルツブルクで医師となった.1527年にバーゼル大学の教授となり,ユマニストのフローベンやエラスムスを治療したことが知られている.しかし,旧来の医学を批判してガレノスやイブン=シーナなどの医学書を学生の前で燃やすなど過激な行動のため,翌年にはバーゼルを追放された.その後は再びスイス,ドイツ各地を遍歴しながら膨大な著作を残したが,旅先での著作のため手稿はすべて失われており,著書の多くは死後出版された.47歳で死亡したが,死因は大酒による病死とも,毒物中毒,喧嘩による外傷とも言われる.
パラケルススは,ガレノス以来の体液病理学を批判し,自らの経験と化学の知識に基づく医学を実践した.具体的には,錬金術の基本である三原質(塩,硫黄,水銀)を治療に応用し,天体の動きと病気を関連づける星辰医学を唱え,またマクロコスモス(外界)とミクロコスモス(人体)を区別して両者は本質的に同一であるとして照応するなど,自然神秘主義的な面が非常に強い.現在の観点から言えば疑似科学的な面も大きいが,それまでの薬草による治療から踏み出して,鉱物,化学物質を医学に利用したという点でその後の医学化学派への糸口となるものであった.実際,水銀を初めて梅毒の治療に応用したのはパラケルススであった.物質はすべて毒であり,用量が多ければすべて毒になると述べており,毒物学の祖ともされる.このほか,パラケルススに帰せられる医学的知見としては,アヘンの麻酔作用を動物で確認,胃液に酸が含まれることを発見,尿に酸を加えて蛋白尿を診断,クレチン病と甲状腺腫の関係を指摘,水銀中毒の重金属による治療,鉱夫の珪肺症の記載などが挙げられる[1].また身体疾患と精神疾患を区別し,専ら悪魔憑きの仕業と考えられていた精神疾患の原因を先天性,飲食物,性格,月の影響,悪魔の影響に分類し,また精神状態が身体疾患の原因となりうるとする現在でいう心身症を論じており,近代精神医学の祖とされることもある[2].
パラケルススは,医学者,錬金術師,鉱物学者,占星術者,魔術師,思想家など多彩な側面をもち,またその著作も難解なためその全貌を把握することは難しい.科学的医学の先駆者とされ,数々の事績が称揚される一方で,その実態は錬金術,占星術などに基づく疑似科学であるという矛盾を抱えておりその評価は定まりがたい.現在もその多義的で難解な著作に惹かれる研究者は後を断たず,様々なパラケルスス像が描かれている[3].
出典
- 1. Davis A. Paracelsus: a quincentennial assessment. J Roy Soc Med 86:653-6,1993
- 2. de Vries, A. Paracelsus. Sixteenth-century physician-scientist-philosopher. New York St J Med. 77:790-8,1977
- 3. Prioreschi, P. Paracelsus: a reevaluation. Ann Pharm Franc 64;52-62,2006