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シデナム  Thomas Sydenham   

経歴と業績

シデナム (Thomas Sydenham, 1624-89)

1624年,イギリスのジェントリーの両親のもとに生まれた.1642年オックスフォード大学に入学したが,おりしも清教徒革命が勃発し,議会派の軍人であった兄や弟とともに参戦した.一時は捕虜にもなったが1646年,王党派の勝利とともに軍を離れ,復学して医学を学んだ.1651年の内戦に際して再び軍務について重傷を負ったが,その後軍務を退き,1655年にロンドンのウェストミンスター地区で開業医となり,生涯この地で臨床にあたった.当時この地区の背後には沼地があり,マラリアが多発していた.シデナムはマラリアの治療に初めて キナ樹皮 を使用したことで知られる*1.また,アヘン製剤を初めてアヘンチンキとして使用したのもシデナムである*2

 医師としての出発は遅かったが,シデナムは当時の理論偏重の医学を批判し,病気の原因を追及することよりも,ヒポクラテスの医学に立ち返って患者の症状,経過を丁寧に観察することが最も重要であるとした.その経過から疾患を急性,慢性に大別し,急性疾患は外因に対抗する生体の防御反応であり,慢性疾患は食事や生活に起因すると考えた.ヒポクラテスと同じく自然治癒力を重視し,治療はこれを補助するものとした.臨床医学に立ち返るその姿勢 は,後に「イギリスのヒポクラテス」と称されるに相応しいものであった.

シデナム自身の持病でもあった痛風については,それまで混同されていたリウマチをはっきり区別した.またリウマチ熱に続発する小舞踏病(Sydenham's chorea)には名前が残る(Sydenham's chorea).「人は血管とともに老いる」(A man is as old as his arteries)という有名な表現もシデナムに由来する[1-3]. 

*1 キナ樹皮:17世紀前半,キナ樹皮が宣教師によって南米からヨーロッパに持ち込んだ.キナは,マラリア治療薬キニーネ の語源ともなっている通り,原住民のインディオの解熱剤であった.当時のヨーロッパでもさまざまな薬草が治療薬として使われていたが,キナ皮の即効性,特効性は別格であった.キナの特異性はヒポクラテス以来の体液説では説明できず,またガレノスの治療をはるかに凌ぐその薬効は,ガレノス医学の権威を揺るがし,その凋落をいっそう促す結果となった.このため,ガレノス医学を信奉する多くの医師がキナを排斥する中にあって,臨床を重視するシデナムはこれを推奨,普及させた[3]. 

*2 アヘンチンキ(laudanum):アヘンをエタノールに溶出したもの.Laudanumの初出はパラケルススの処方であるが,これは金箔や真珠などを調合したもので,その成分については不詳である[3].様々なLaudanumが知られているが,現在のようなアヘンチンキを作ったのはシデナムである.l 

出典