人物篇 > 日本医学史 > ベルツ

前項目  目次  次項目

ベルツ   Erwin von Bälz

経歴と業績

ベルツ( Erwin von Bälz , 1849-1913)

チュービンゲン大学,ライプツィヒ大学で,体温,熱型表の研究で知られるヴンダーリヒ(Carl Wunderlich)の下で内科学を学んだ.1875年,ドイツ留学中の相良元貞(1841-75, 日本へのドイツ医学導入を主導した相良知安の弟)が肺炎で入院した際に治療に当たったことが縁で,日本に関心を持つようになったという.1876年,明治政府の要請に応じて,東京医学校(後の東京大学医学部)に教師として赴任した.医学校では主に基礎医学,内科学,産婦人科学を指導した.当初の予定は2年間であったが,その後契約を延長して25年にわたって教鞭をとった.その後数年は宮内庁の侍医となり,1905年に帰国したが,29年間にわたる滞日はいわゆる「お雇い外国人」 の中で最長で,黎明期の日本の医学に最も大きな影響をおよぼした外国人であった.日本の近代西洋医学の父とも言われる.来日後まもなく,戸田花子(1864-1937)と結婚,一男一女をもうけた.

滞日中に行なった研究業績は多岐にわたるが,長岡におけるツツガムシ病の研究(川上清哉との共同研究),草津温泉の発見と温泉学の研究などが知られる.現在も市販されている皮膚の保湿剤「ベルツ水」(グリセリンカリウム溶液)は,箱根富士屋ホテルに投宿した際に女中の手のあかぎれを見て処方したという.黄色人種の背部に多く見られる「蒙古斑」 を初めて報告したのもベルツであった.1930年に長男の徳之助(Toku Bälz)が編集,出版した「ベルツの日記」(Das Leben eines deutschen Arztes im erwachenden Japan. Tagebücher, Briefe, Berichte)は,医学のみならず当時の日本の社会状況,風俗を伝える貴重な資料となっている[1] .

出典