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ベーリング Emil Adolf Behring 

経歴と業績

ベーリング (Emil Adolf Behring, 1854-1917) [PD]

プロシアのハンスドルフ(現ポーランド)に生まれた*.父は教師で,前妻の子供とあわせて13人兄弟の5番目であった.家計に余裕はなく,1874年に卒後8年の軍医勤務を条件に国費で奨学金が得られる軍医学校カイザー・ヴィルヘルム・アカデミーに入学し,医学を学んだ.卒業後は,各地で軍医として勤務したが,この時期の論文に「ヨードフォルムの作用」があり,眼科学の研究を行い視神経手術に関する論文で博士号を取得した.

1888年からコッホ研究所に入所した.その数年前の1884年にドイツの細菌学者レフラー(Freidrich Löffler)がジフテリア菌(corynebacterium diphtheriae) を発見し,1889年にフランスのパスツール研究所のルー(Émile Roux)とイェルサン(Alexandre Yersin)が,ジフテリアの症状はジフテリア菌が産生する毒素によるものであること,破傷風も同様の毒素を産生することを発表していた.ベーリングは,ジフテリアの治療法を模索する中で,ジフテリア感染動物の血清濾過液を動物に注射することでジフテリアの治療,予防が可能であることを発見し,ここに 血清療法 が誕生した.折しも,日本からコッホの下に留学していた 北里柴三郎 が,破傷風菌の培養に成功し,それに引き続いて破傷風菌で同様の研究を行っていた.1890年,ベーリングは北里と連名で「動物におけるジフテリア免疫,破傷風免疫の成立について」と題する論文(→原著論文)を発表し,その1週間後に単著で「動物におけるジフテリア免疫の成立に関する研究」を著した.これら論文は,その後の免疫学の方向を決する重要なものとなった.

血清療法は動物では成功したもの,臨床に用いるにはまだ問題があった.ベーリングは,ちょうどこの時期コッホ研究所にいたエールリッヒ(Paul Ehrlich)の協力を求めた.エールリッヒは,現在も使用されているジフテリア毒素の力価定量法を開発するとともに,臨床応用に充分な力価をもつ抗毒素血清を大量に提供し,臨床応用への道を拓いた.血清療法は,このエールリッヒの協力なくして実用化は不可能であった.1901年,ベーリングは血清療法の開発に対して,第1回ノーベル生理学医学賞を受賞した.

その後1904年に,抗毒素,ワクチンを製造する私企業 Behringwerke を設立,結核治療法の開発も試みたが,不成功におわった.

* ベーリングの誕生日は1854年3月15日,一時期共同研究者でもあったエールリッヒは同年3月14日で,奇しくもわずか1日違いである.

 

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