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ベルナール  Claude Bernard

経歴と業績

ベルナール (Claude Bernard,1813-1878)

フランスのローヌ地方,サンジュリアンに生まれた.リヨン大学に入学したが中退,1832年に薬剤師のもとで修行を始めた.劇作に興味をもち,自作のボードビル喜劇の台本が地元の劇場で好評を得たことに気を良くして作品を携えてパリに出たが,これを見たソルボンヌ大学の文学部教授ジラルダン(Siant-Marc Girardin)に,作家の道をあきらめて医学に進むよう忠告された.これに従ったベルナールは,1834年にパリのオテルデュー(Hôtel-Dieu)病院のインターンとなり,ここで実験生理学の先駆者とされる著名な生理学者マジャンディ(François Magendie)*に師事した.1847年にはマジャンディの助教授となり,1855年にその後任として教授に就任した.

ベルナールの生理学の業績は極めて多岐にわたる.その最初のものは膵液が脂肪の消化作用を持つことを発見したことである.ついで体内の ブドウ糖代謝 を明らかにした.すなわち,食餌として摂取されたショ糖は消化管でブドウ糖となって血中に吸収され,肝でグリコーゲンとして蓄えられて再びブドウ糖として血中に放出されることを示した.これはその後の糖尿病研究の重要な基礎となった.また頸部神経叢の刺激により皮膚温が変化することから,血管運動性神経の役割を明らかにした.一酸化炭素のヘモグロビン親和性を明らかにしたのもベルナールである.

ベルナールはこれらの実験を通じて「内部環境」(milieu intérieur)の概念を提示し,体外の 環境が変化しても,生体はそれに応じて適切に反応して内部環境を不変に維持することを示した.この考え方は,その後アメリカの生理学者キャノン(Walter Bradford Cannon, 1871-1945)がさらに発展させてホメオスタシス(homeostasis, 恒常性)と呼ばれるようになった.

1865年に著した「実験医学序説」 (Introduction à l'étude de la médecine expérimentale)では,生体の真理を究めるためには,観察だけでなく実験が必須であり,実験によって自然に問いかけその答えに謙虚に耳を傾けることが重要であるとし,医学から形而上学的な要素を排除して科学的な医学の方法論を示した.現在からみれば当然のことであるが,ともすれば結論ありきでこれを思弁的に説明しようとする当時の医学に,新たな道を示すものであった.実際ベルナールが明らかにした知見はすべて綿密な実験に基づくものであったが,必要とあれば動物の生体解剖もいとわなかった.一家の飼い犬を解剖したときは,妻と娘の不興を買い,その後の離婚の一因となった[1-3].

1878年,その死にあたってはフランスの科学者としては初の公葬が行なわれた.

* マジャンディ(François Magendie, 1783-1855).フランスの生理学者.実験生理学の先駆者とされる.マジャンディ孔(第4脳室正中孔)に名前が残る.最も良く知られる功績は,1822年,脊髄前根は運動神経,後根は知覚神経から成ること(ベル・マジャンディの法則)を発見したことであるが,前根についてはこれ以前に,ベル麻痺(末梢性顔面神経麻痺)に名前が残るイギリスの生理学者ベル(Charles Bell, 1774-1842)も同様の知見を報告しており,両者の熾烈な優先権争いに発展した.マジャンディは動物の生体解剖を積極的に行ない,動物虐待として強い批判を浴びた.神経根の研究も無麻酔のイヌの生体実験に基づくものであったが,一方のベルは無意識下のウサギで実験したために後根の機能を見逃していた.

出典