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ヒルデガルト Hildegard von Bingen

経歴と業績

ビンゲンのヒルデガルト(Hildegard von Bingen, 1098 1179)

神聖ローマ帝国のラインラント地方,マインツ近郊に下級貴族の両親のもとに,10番目の末子として生まれた.8歳の時,ディジボーデンベルク(Disiabodenberg)の男子修道院の一隅で隠者(anchorite)として暮らす貴族の令嬢ユッタ(Jutta von Sponheim) のもとに預けられ,1136年にユッタが死去するまで30年をここで過ごした.anchorite は 特に12-13世紀のヨーロッパに多く見られた修行様式である.修道院の中に設けられた,出入り口の無い小さな独房に幽閉された状態で信仰生活に専念する究極の修行で,外部との連絡は壁にあけた小さな窓を通じてのみ可能で,食料もここから修道士が差し入れ,会話も壁越しに行なわれる.ヒルデガルトはここでユッタ,ならびに修道士のフォルマール(Volmar)から教育を受けた.ユッタの死後はディジボーデンベルクの女子修道院長となり,1150年にはビンゲン近郊のルペルツベルク(Rupertsberg)に自ら新たな女子修道院を建設し,以後その修道院長をつとめた.晩年はヨーロッパ各地を講演して,その宗教体験を広く伝えた[1-3].

ヒルデガルトは,幼いころから幻視(visio)を度々体験しており,明るい光の中に様々な形が浮かび上がり神の言葉が伝えられたという*.これは長く秘されていたが,1141年から10年をかけて執筆した「道を知れ」(Scivias)を含む3冊の幻視体験をもとにした宗教書を残し,ローマ法王もその幻視が事実であることを認めている.このことからヒルデガルトは神秘主義者とされる.ヒルデガルトは,作曲家,作詞家として多くのグレゴリオ聖歌を残しており,音楽史上初の女性作曲家とされる.

* この幻視は,側頭葉てんかんや片頭痛の前兆であった可能性が指摘されている[4,5].後者については,頭痛の記載はないが,頭痛を伴わない前兆(aura without migraine)の可能性も考えられる.

図1. ヒルデガルトの医学書のつ「Physica」.

ヒルデガルトは,隠者生活時代から薬草,民間医療の研究を行ない,また修道院の蔵書を読んで豊富な医学知識を身につけ,その成果は1151~58年に書かれた2冊の著書に見ることができる.Physica (医学) (図1)9部から成り,500種類以上の植物,動物,鉱物の性質を詳述しており,ビールにおけるホップの利用を最初に記載した書物とも言われる.また栄養のある食事,充分な睡眠,仕事と余暇のバランスなどが重要であるとしている.Causae et Curae(病因と治療)は全6巻,530章から成り,1巻で宇宙,天体,地球の構造と人間の関わりを論じた後,2巻では,生理学,発生学,出産から子供の成長,月経と月の朔望の関係を解説している.3巻以降では,器官別の病態と治療,脈拍や尿,便による診断学を扱い,最終巻では再び月と人体の関係を論じている.ヒルデガルトは,医学書を著した初の女性であり,医学史上初の本草学者ともされる.その本草学は,16世紀ドイツ植物学の父とされる,ブルンフェンス,フックス,ボックらの研究にも大きな影響を与えた[1-3].

出典