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ラントシュタイナー Karl Landsteiner

経歴と業績

ラントシュタイナー (Karl Landsteiner, 1868-1943)

ウィーンオーストリアに生まれる.父はDie Presse紙の編集長をつとめる有名なジャーナリストであったが,7歳の時死別,母に育てられた.1891年ウィーン大学医学部を卒業,初めは外科臨床を行なったが,生化学に興味をもち,その後5年間,有機化学の祖ともいわれる著明な化学者フィッシャー(Emil Fischer)を含め数人の化学者のもとで化学を学んだ.1896年,ウィーン大学病理学の助手となったが,その後15年間で3639例の剖検を行なった.

ラントシュタイナーは,動物種による生化学的な差異に興味をもち,輸血による重大な副作用が偶発的におこる理由を研究するために,血清と血球の凝集反応に着目した.そしてヒトの血液と動物の血液を混ぜると凝集反応がおこること,ヒトの血液どうしでは凝集する場合としない場合があること,ヒトには3つの血液型,A, B, C (後にO)があることを発見して,1901年にこれを発表した.

1906年には,皮膚科医のフィンガー(Ernst Finger)とともに,梅毒の病源スピロヘータをサルに接種して感染させることに成功し,暗視野法により顕微鏡でスピロヘータを観察できることを発見した.ちょうどこの頃,ドイツの細菌学者ワッセルマン(August Paul von Wassermann)が,梅毒の血清診断法(ワッセルマン反応)を開発したが,ラントシュタイナーはこの抗原がリポイドであることを発見した.このほか嚢胞性線維症(cystic fibrosis)の剖検で,その特徴的な膵病変を初めて記載したのもラントシュタイナーである.

1908年,ヨーロッパではポリオが大流行し,大学からラントシュタイナーはその原因究明を命じられた.当時,ポリオの原因は細菌が疑われていた.ポリオで死亡した患者の脊髄組織抽出物による感染実験は,マウスやモルモットでは失敗したが,2匹のサルはポリオを発症した.しかし顕微鏡で病原体は確認できず,ラントシュタイナーは濾過性病原体を疑ったが,当時ウィーンには実験用のサルがほかになかった.そこで,ラントシュタイナーはフランスのパスツール研究所の微生物学者レヴァンデティ(Constantin Levanditi)に応援を求め,ふたりは協力して1911年にはポリオの病原体がウイルスであること,脊髄のほかリンパ組織に感染すること,回復期患者の血清で中和できることを発見したが,資金難などの理由で研究は中断した.

1917年には,単独では抗原とはなりえない低分子が大分子と結合すると抗原性を発揮すること,すなわちハプテンの存在を発見し,異物がアレルギー性皮膚炎が惹起することを示した.第一次世界大戦敗戦に伴う社会状況の悪化のため,1919年にオランダに移り,その後1922年にアメリカのロックフェラー研究所の研究員となった.1926年には,M, N, P血液型を発見,1930年,血液型発見の業績に対してノーベル生理学医学賞を受賞.その後も精力的に研究を続け,1940年にはRh血液型を発見した[1-3].

出典